【福井市】橋本左内の調べ学習ならココ!福井市宝永地区の福井市立郷土歴史博物館ロビーではパネル展「橋本左内って知ってるかい?」が行われています!

福井市宝永地区には福井市立郷土歴史博物館があります。

福井市立郷土歴史博物館では、2025年11月7日現在、ロビーにてパネル展「橋本左内って知ってるかい?」を開催しています。学芸員さんによると、福井市内の中学校(主に中学2年生)は、自分の将来の目標などを立てる「立志式」を行います。その立志式にあたって、橋本左内の調べ学習が課題として挙げられることが多く、市内の中学生のためにパネル展示を行うことを決めたそうです!

橋本左内は、医師の子として生まれ、福井藩の中でも秀才として知られていました。15歳の頃には「啓発録(けいはつろく)」という本を著し、自分の目標や考えをまとめています。また、16歳(1849年)のときには、大坂(現在の大阪)の緒方洪庵の適塾で学んでいます。

18歳(1851年)で父の後を継いで医師となり、21歳(1854年)の左内は江戸で蘭学や漢学を学びました。左内は、24歳(1856年)で藩校明道館の学監同様心得(がっかんどうようこころえ)となり、藩の学校の教育を改める職に就きました。

松平春嶽の腹心として、佐内は身の回りの世話をしたり、政の相談に乗ったりしていました。14代将軍を巡って、一橋慶喜(15代将軍徳川慶喜)を推す一橋派と徳川慶福(14代将軍徳川家茂)を推す南紀派との政争の中で、勝利した南紀派の大老井伊直弼は、安政の大獄で反対派を処罰します。井伊にその俊秀ぶりを恐れられた左内は25歳の若さで刑場の露と消えました。
幕末を駆け抜けた若き秀才橋本左内の生涯について、わかりやすく展示されたパネル展「橋本左内って知ってるかい?」をご覧になってみてはいかがでしょうか??
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